元オリンピアンの陸上コーチがヤバすぎる長距離ウォーカーについて解説してみた。科学では解明しきれていない世界

ロングウォーク_3

ありえない人の睡眠 番外編|競歩のプロが語る「ロングウォーク」の世界

対談者プロフィール

ゲスト 柳澤 哲

20km競歩シドニー五輪(2000年)日本代表。元日本での最速歩行記録を13年保持していたアスリート。山梨学院大学競歩コーチ。五輪・世界陸上の競歩TV解説も務める。今井さんとともにロングウォークイベントに参加した経験を持つ。


ゲスト:今井 守

超長距離ウォーカー。会社員。(ロングウォークの前編・後編に登場。今回の主役)


(インタビューワー:大木さと 睡眠養生 編集長。寝具・睡眠環境アドバイザー資格保有。)

前編・後編を通じて、今井守さんの話を聞き続けてきました。

【寝ないと脳がバグる】幻覚を見ながら100㎞以上歩き続ける、長距離ウォーカーの狂気の睡眠

【そして伝説へ…】長距離ウォーカーの回復術がエグすぎる。アルコールナップからの大覚醒モード

最小限の休養で歩き&走り続ける中で体験する、幻聴・幻覚祭り、幽体離脱、アルコールナップ。どれも「ありえない」話のようで、今井さんが語ると当然のことのように聞こえてくる、不思議な取材でした。

番外編では、この取材に同席していただいた専門家のウォーキングコーチ柳澤哲さんを交えた「どうしてこんな事ができるの?!」という、疑問を陸上競技の指導者視点で伺います。

柳澤哲(やなぎさわ さとし)さん

20km競歩でシドニー五輪に出場。2000年に打ち立てた日本記録を13年間にわたり保持。日本選手権5回優勝、世界陸上では日本人初の入賞。「誰より速く、正しく歩くこと」を極め続けたアスリートで、現在は山梨学院大学競歩コーチ兼、五輪・世界陸上等のTV解説者として活躍している。

https://www.pro-walkingcoach.com/calendar

柳澤さんを、今回の今井さんとの取材にお呼びしたのには、理由があります。

これまで柳澤さんは、アスリートx医療のメソッド組み合わせて設計した「ウォーキング療法士」の事業を立ち上げたり、東大の”筋肉教授”として有名な石井直方先生との共同研究に携わったりしてきた、「歩くことを科学」している、日本における第一人者です。

睡眠養生 編集長の大木が「歩くことについて聞くなら、この人しかいない!」と信頼するパートナーでもあります。

強靭なウォーキングや100kmランニングなどを続ける今井守さんと一緒にイベント主催もされるご関係で、今井さんの活動をみてきた関係者でもあります。

日本最速を極めた陸上競技のスペシャリストが「ほとんど眠らずに、何百キロも歩く人」を解説するトークをお届けします。

ランニングやウォーキングが人気の今、競技を極めたいとトレーニングに励む方のお役に立てる?かもしれない、番外編です。

本記事は、超長距離ウォーキングを長年続けてきた今井さんの実体験をもとにしたインタビュー記事で、個人の活動事例です。

複数日にわたる連続歩行、極限まで削った睡眠、アルコールを用いた仮眠など、記事内で紹介している行動は、一般の方への推奨しているわけではありません。睡眠不足が重なると、判断力の低下や身体・精神への負担が増すことがあります。

(そんな方は、ほとんどいないとは思いますが……)記事内の内容を取り入れたい場合には、トレーニングに関する専門家の指導を受けることを推奨します。

目次

競歩のプロから見た、今井守さんという存在

さとちゃん (大木都)

柳澤さんはご自身が競歩でオリンピックに出場され、現在はオリンピアンを育てていらっしゃいますが。競技視点で、今井さんのようなロングウォークはどう映るんですか?

柳澤哲コーチ

競歩は一歩でもフォームが乱れたら審判に失格を取られる競技なので、まったく別の世界ではあります(笑)

でも一緒に歩かせてもらって、歩くという行為の奥深さをあらためて感じましたよ。

競歩は速さとフォームを両立させる競技ですが、今井さんは速さもフォームも関係ない場所で、ただ止まらないという一点だけを追求している。そこに独自の強さがある。

さとちゃん (大木都)

柳澤さんは今井さんと一緒に歩いたこともありますよね。見ていてどう感じましたか?

柳澤哲コーチ

一緒に歩いたときに思ったのが、水分補給と、発汗量がまず異常に多いということです。

私が1本ペットボトルを飲み終わる前に、今井さんは2本飲み終わる勢いで。雨でずぶ濡れになっても、今井さんはどんどん飲んでいて。

今井守さん

そんなに飲んでましたっけ(笑)。でも確かに水がなくなるの早いって言われます。

さとちゃん (大木都)

それは、なぜなんですか?

柳澤哲コーチ

代謝がいいんだと思います。水分代謝もエネルギー代謝も含めて。

車に例えると、ガソリンさえ入れれば動き続けられる、という体なんですよ。

普通はたくさん水を飲んだら腎臓が疲れたり、胃がおかしくなったりしてくるんですが、今井さんにはそれが出てこない

さとちゃん (大木都)

それが強さの秘密?

柳澤哲コーチ

大きな要因だと思います。でも正直に言うと、それだけじゃないんですよね。

代謝の良さで説明できる部分もあるけれど、250キロを超えて歩き続けられる理由は、それだけでは足りない。

100km以上のウォーキングはエビデンスがない領域

さとちゃん (大木都)

今井さんから幻覚や体外離脱の話を聞いて、どう感じましたか?

柳澤哲コーチ

正直に言うと、運動生理学のエビデンスとしてはほとんど扱えない領域なんですよ。

スポーツ科学のエビデンスって、最長でもマラソンくらいの距離と時間を対象にしているので。

100km以上の距離というのは、エビデンスベースで何かを言える領域ではない

さとちゃん (大木都)

じゃあ、今井さんの体験談について専門家として言えることは?

柳澤哲コーチ

脳の防衛反応として説明できる部分はあります。

例えば幻聴・幻覚祭りの話です。

睡眠剥奪が進むと、脳が覚醒しているのに夢を見ているときと同じような状態が部分的に起きているのかもしれません。

幻覚が見えるのも、「これ以上は限界ですよ」という脳からのサインとして理解できる

ただそのサインを受け取りながら歩き続けられる人については、もう個人ベースの話しかできないですね(笑)

さとちゃん (大木都)

予測の話しかできない、ということですね。

柳澤哲コーチ

そうです。「おそらく脳が危険を回避するためにそういう機能が働いているんじゃないか」というレベルの話で。

それを何年もかけて把握して、歩き続けている今井さんが、もう別次元の話なんです。

今井守さん

実験台にはなれますよ(笑)。
研究してもらえるなら歩きますよ、何キロでも!!

柳澤哲コーチ

それが一番の問題で、今井さんを対象に研究しようとすると、まず倫理審査で止まると思います。
実際の研究には進めないでしょうね(笑)

それでも一つ言えること:脱力が回復を速める

さとちゃん (大木都)

では選手を育成中の指導者として、伺いたいです!

今井さんのやっているリカバリー方法というか、快眠方法というか。大会で実際に試していることで「それは正しい」と言えるものは、コーチ視点でありましたか?

柳澤哲コーチ

それは脱力することです。

今井さんがアルコールナップで「体が柔らかくなった感じがした」とおっしゃっていましたよね。

あれは的確な表現で、緊張を解いて力を抜いた状態で休むことが、短時間でも効率よく回復することにつながるとされています。

さとちゃん (大木都)

競技中の脱力、ですか。

柳澤哲コーチ

ロングウォークで歩き続けているとどうしても体に力が入り続ける。肩の荷物、足への負担、あらゆるところに緊張感がある。

その緊張を短時間でも解いてあげると、疲れの抜け方が変わります。アルコールが体の力を抜いたことで、短時間の仮眠が深くなった可能性はあると思います。

さとちゃん (大木都)

アルコールじゃなくても、脱力できればいい、ということ?

柳澤哲コーチ

そうです。ストレッチや深呼吸、ぬるめのお風呂。脱力できる手段であれば何でもいい

アルコールを飲まなくてもハーブティーで体の力が抜けるなら、そちらのほうが体への負担は少ない。

今井さんのアルコールナップは、脱力という観点では理にかなっているんですね(笑)一般的な方にはおすすめしません。

今井さんが、睡眠の専門家に聴きたかった事

ここまで今井さんの体験を聞き続けてきましたが、今度は今井さんから睡眠コーチの大木への質問です

大会中、いつ頃どれくらい睡眠を取るといいか、睡眠の前後にやるべきことはあるか。ご自身の感覚でやってきたことに、専門家の視点から答えをもらいたい、という形になりました。

今井守さん

睡眠の専門家の視点で教えていただきたいんですが、長距離ウォークの大会に出ていると、ショートスリーパーに憧れてしまいます。

頑張れば、ショートスリーパーになれるんでしょうか?

さとちゃん (大木都)

そうですね、ショートスリーパーは後天的にはなれない、というのが今の睡眠学の見解なんですよ。

遺伝的にショートスリーパー体質を持つ方はごく稀にいらっしゃいますが、そうでなければ努力してもショートスリーパーになるのは難しいと考えるのが妥当です。

その上で、睡眠時間を削って慣れようとしても、体はごまかせない。日中のパフォーマンスに影響します。

だからといって大会中にたっぷり寝るのは難しいわけで、現実的には大会前にしっかり充足しておくことが大事ですね。

今井守さん

大会前にしっかり眠っておくことで、大会中の不足を補えるということ?

さとちゃん (大木都)

あくまで寝溜めはできないので、補えるわけではないです。

事前に十分な睡眠を確保しておくと、その後数日間の睡眠不足の負担感が軽減されやすいと思います。

睡眠不足はHP不足になります。事前に眠ることでHPが満タンで大会に出るか、HP不足で大会に参加するかの違いです。

大会前に「睡眠を満たしておく」イメージですね。

今井守さん

なるほど。

あと、いつごろ、どれぐらい睡眠をとると良いですかね?こういう状態で睡眠に入ると良いなどありますか?

さとちゃん (大木都)

面白い話で、まず睡眠リズムの固定化というのがあって。

本来7時間が適切なタイプでも、短い睡眠を続けると、脳がそれで体内時計を整えようとしまうんですよ。本来じゃないけど、日常運転にしようと脳がバグるというか、体内バランスをとろうと動く感じ。

そうなると、その時間が来ると自然と目が覚めるようになる。

今井守さん

脳がその時間に慣れてしまうということ?

さとちゃん (大木都)

そうです。さらに、最新の睡眠学の知見として、『何分後に起きるぞ』と強く意識して寝ると、脳がコルチゾールというホルモンの分泌を自分でコントロールして、起きる時間に合わせて心拍数を上げてくれる、ということが国内の研究レポートで示唆されています。

つまり、長距離のレースでも、『この時間に寝てこの時間に起きる』とあらかじめ設計し、強く意識しておくことが、体内時計の調整に使える可能性がありえるかも?

今井守さん

45分後に起きようと思って寝ると、45分で起きられるということですか。

さとちゃん (大木都)

理論上は、そういうことでしょうが。。。あくまで、このエビデンスは通常の睡眠をとっている人を対象にしたもので。そこからの推察です。

100キロウォークなどの極限環境で、45分の仮眠を繰り返す特殊な状況で同じように機能するかどうかは、正直わかりません💦

柳澤哲コーチ

競技者の視点でも、レースのスケジュールに体を合わせていく、ということはやります

さとちゃん (大木都)

そうなんですね!

今井さんの場合は、「この時間に寝て、この時間に起きる」という脳へのインプットができると、体内時計に効く可能性があります、と考えられるかな、と。

今井守さん

今は「眠気が来たときに寝る」、という感じでやってきたので、時間を決めるというのは難しいですけど。試してみる余地はありますね。

さとちゃん (大木都)

もう一つ、睡眠の前後でやるといいことで言うと。

先ほど柳澤さんが言っていたように、これから寝るというタイミングで意識的に脱力することです。

緊張を解いた状態で休むほうが、短時間でも回復しやすい普段動かさない方向にストレッチしてから寝ると、より回復しやすくなるかもしれません。

今井守さん

なるほど!だとすると、アルコールを飲んで力が抜けてよく眠れる、というのも脱力からの快眠につながっているということですかね?

さとちゃん (大木都)

そうだと思います。
アルコールは脱力効果があるので、極限状態からの強制的なリラックスモードですね!

お酒がダメでも、ハーブティーを飲むとか、ストレッチで肩の力を抜くとか、自分にあった脱力できる方法であれば何でもいいですね!

今井さんの場合は飲酒が機能したということで(笑)

意外と存在する、ありえない長距離ウォーキングの実践者

さとちゃん (大木都)

柳澤さんは、今井さんを長年見てきていますよね。
専門家としてどう思われていますか?

柳澤哲コーチ

『こういう人っている』というのが正直な感想です

私がコーチングしている女性ででも、56歳から歩き始めて、83歳になった今も30キロ以上歩く方がいて。

「最近やる気がなくなった」とおっしゃっていますが、それでも83歳で30キロは歩くんですよ(笑)

さとちゃん (大木都)

83歳で30キロって!!!
かっこいい!!そのエネルギー素敵。

柳澤哲コーチ

今井さんもそうですが、普通に考えたら健康にいいわけがない、と思えることをやっていても、健康を害さずにやり切れる人が一定数いる

その人たちに共通しているのが、どこかで自分のエンジンの質に気づいて、それをちゃんと磨いてきた、ということだと思います。才能、というより適性と経験の組み合わせというか。

さとちゃん (大木都)

今井さんがそれを発見したのが、体重93キロから歩き始めて最初の100キロを歩いたときだったわけですよね。

柳澤哲コーチ

そうなんですよ。面白いのは、最初から速かったわけじゃない。

22時間かかって、次に16時間で歩けた。その差を面白いと思えた、というのが今井さんをここまで連れてきたんだと思います。

今井守さん

面白かったんですよね、本当に。
なんでタイムが縮まったんだろう?って。

それが気になって練習したら、もっと縮まって。

気づいたら634キロになってたっていう(笑)

さとちゃん (大木都)

気づいたら634キロ。
意味わからないです(笑)

まとめ:アスリート視点で見た、今井さんという存在

柳澤さんがシドニー五輪で戦ったのは、正確なフォームと戦略的なペース配分で競い合う競歩の世界。

一方、今井さんが歩くのは、ただ止まらないことだけを追い続ける世界です。同じ「歩く」でも、目指しているものがまったく違います。

その柳澤さんが繰り返したのは「エビデンスがない領域」という言葉でした。競歩のプロとして、また大学で競技者を指導するコーチとして、スポーツ科学と現場を知り尽くした人でも、250キロや634キロの世界は予測と観察の話しかできない。それが正直なところだと言います。

では、今井さんのような世界とは無縁の私たちが、この話から持ち帰れることは何でしょうか。

  • 睡眠は意識しすぎると逆効果になる
  • 事前に十分な睡眠を確保しておくと、その後の不足に耐えやすくなる
  • 起きる時間を強く意識してから寝ると、脳が目覚めを準備してくれる
  • 体の緊張を解いてから休むと、短時間でも回復しやすくなる

これらはすべて、極限の世界を生きる人の話を入り口にして見えてきた、日常にも通じる睡眠の原理です。

極限の睡眠をする必要のない私たちは、より心地よく眠るために、今井さんの長距離ウォーキングから学ぶ効率的な睡眠を少しだけ参考にして、今夜は身体をほぐしてからぐっすり眠りましょう。

長期にわたる睡眠不足や、強い眠気が続く場合は、医療機関へのご相談をお勧めします。睡眠外来、心療内科、内科など、状況に応じた診療科をご利用ください。本記事の内容は一般的な情報提供を目的とするものであり、医学的な診断や治療に代わるものではありません。

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